NHK FMシアター 『サバイバーズ・ギルト わたしのいない街で』

作:原田ひ香

音楽:山路敦司

演出:大久保篤

技術:深田次郎

音響効果:林幸夫

出演:純名里沙 石田太郎 風間トオル 河東けい

新海なつ 三島ゆり子 酒井高陽 木全晶子

木内義一 鍋島浩 森由紀子 董丹陽

植田紗帆

あらすじ:シンガポールで働く未来(35)は、東日本大震災の発生をニュースで知りショックを受ける。16年前、阪神・淡路大震災で未来は祖母を失っていた が、その時に自分が東京の大学に通っていて祖母を助けられなかったことを悔やんでいた。2度の震災で、自身が被害にあわず平穏無事で生きていることに罪悪 感を抱く未来は、一時帰国しても素直に両親と話すことができなかった。ある日、ふとしたきっかけから亡き祖母の過去の秘密と、祖母が感じていた辛い気持を 知る。そして、「私さえいれば祖母を助けられた」と言う気持ちが、逆に両親をずっと責め続けてきたことに気付く。そして未来は、漠然と感じるこの罪悪感を 断ち切って、前に進むことを決心するのだった。(大阪局制作)

【放送日】2011101日(土曜日)22:00-22:50

http://www.nhk.or.jp/audio/prog_fm_former.html

https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=108-20111001-07-90641

『蜘蛛の糸』

【監督】秋原正俊 【原作】芥川龍之介

【音楽】山路敦司

【出演】平幹二朗、高畑こと美、鳥肌実、初嶺麿代、高畑淳子、スティーブ・エトウ、

江口のりこ、松田洋治

(2011年/日本/70分/カエルカフェ/デジタル上映)

《通俗歌曲と舞曲 第一集より》

芦屋で大井浩明さんがブーレーズの3つのソナタを全部弾くというので、行ってみた。全集好きの大井氏。彼の演奏を初めて聴いたのは、クラヴィコードによるバッハの平均律第2巻全曲だった。

予想以上に芦屋のプログラムは凝っていた。1946年、1948年、1956年から57年。ブーレーズ、21歳、23歳、31歳の作品。3つのソナタを間にはさんで演奏されたのが、ブーレーズから50年後の日本人の作曲家達だった。4人の作曲家は「同級生」だというのがリサイタルの趣旨。こんな企画、大井浩明しか思いつかない。ブーレーズがあぶり出す日本の作曲家の今。

4人の作曲家はいずれも40歳を超え、4人ともが微妙に重ならないフィールドで活動しているようだ。10代や20代で同じ教室同じ教師のゼミに参加していたとしても、こちらの山、向こうの谷、あちらの丘、放牧された羊が草をはむように、ちがう種類の草と水と土を求めるものか。

4人の中で、最後の山路作品について感想を書く。というのも、ピアノのリサイタルに来てこんなことは初めてだ、一度も体験したことはありませんと、衷心から申し上げるわけだけれど、リサイタルの最中、肩をふるわせて笑うか吹き出すのをこらえる観客をたくさん見たからである。実は私もかなり頬がひきつった。ため息がもれそうになった。終演後、席を立つ人々は楽しそうに目を細めて笑顔ばかり。誰かと話さなくてはいられませんとばかり、あちこちで輪ができる。再々言うが、こんな演奏会は初めてだ。

後で耳にしたところによると、山路作品がブーレーズや望月京をさしおいてリサイタルの最後を飾ったわけは、ひとえに断弦を恐れたためである。弦を切ってしまったら、調律師の弦張り替えの早技を客席全員で注視せねばならない。それは大井さんもいやだった。

題名と解説を私はあてにする。作曲者本人が楽譜の束を抱えて出てきて、「この作品の冒頭の音列の抽出の方法は、」と厳かに話し始めるのを待ちたい。

ところが、《通俗歌曲と舞曲 第一集より》。このタイトルで山路氏が厳かにエクリチュールを語るわけがない。タイトルから誰もが想像することは簡単に裏切られる。山路氏はプログラムに載せたささやかな解説をあてにしてほしいとも思っていない。楽譜の束は厳かに大井浩明の手にあるのみ。

恥ずかしながら、指折り数えたつもりだが、曲集の全てが演奏されたのか、弾かれずにいた楽譜があるのか、分からなかった。どれが舞曲でどれが歌曲か。そればかり思って身構える。そんなこと考えて聴いてる人は、「現代音楽」の演奏会には来ないよ、と誰かに耳元でささやかれたけれど。

冒頭第一曲。無音のクラスターが、私には計りしれないタイミングで鳴らされる。秩序は保たれるのか、聴き手はなりゆきを見守るだけだ。個人的に思い出したこと。09年東京都現代美術館、池田亮司展。床、天井、壁を含む巨大インスタレーション。人の知覚を越えてゆく細かい単位の映像。正直に申し上げよう。池田亮司の作品かもしれないけれど、見事に映像化しているカメラ技術の開発者とか、じっと目を凝らさないと確認できないほど精緻なドットを印刷する職人さんが偉いのだと、おかしな感想をたまたま出くわした知人に告白して笑われた。まるであの世界。ピアノのアクション機構など知ったことではないとばかりに、ピアニストの大柄な背中は驚くべきことに少しも動かず、しかし、肩から先が左右にアルゴリズム体操よろしくキーめがけてするどく移動する様子は、まるでダンス。なるほどピアニストが踊るのか。どんな論理で作られたのか、聴き手が考えることをきっぱりと拒むリズムにつれて踊るピアニスト。無音のクラスターが会場に充満する。ピアノが鳴らないことで美しいと言っては、きっとハンブルクのシュタインウェイに叱られる。

解説によれば、山路氏は大井さんのクラスターが美しいから素材に使ったのだという。大井さんのクラスターが素晴らしく美しい響きだった、というのは青春の思い出だろうか。期待どおり、組曲の中で2曲を除いてほとんどがクラスター素材だったが、誰がなんと言おうと、大井浩明のクラスターの美しさによってこそあの演奏は成り立っていた。他のピアニストにどうしてあんな音が出せようか。クラスターは、場内の天井めがけて屹立し、天につきあがる。つっかえ棒でオープンにしてあるピアノの蓋が3回バウンドして、グランドピアノそのものが動いた。全員が息をのむ。およそ想定外で初体験のクラスター三昧。何かの意味とか様式とか書法とかいうものを振り切ってすっくと立ち上がる音響。

そこで気付く。ブーレーズが3曲のソナタでやってきたことを。巨匠の若書きの第1ソナタと第2ソナタは、後に続く作曲家にゆるぎのない規範となった。第2ソナタは古典派をなぞるようではないか。そして、第3ソナタは様式と意味を捨て、ただ響きとしてそこにある音楽のように思う。そこにあるピアノとそこで弾いているピアニストを見失っても、さらにそこにあるのが音。《通俗歌曲と舞曲》がたどりついたのはそういう所だと思う。

ハイドンは古典派の多くの決まりごとやマナーや文法の制約の中で作曲した。ハイドンを弾くピアニストは、楽譜の中でハイドンの様式を追いかける。ドミナントの解決、フレーズの始まりと終わり、装飾音の入り方、音響のバランス。全てが古典派の制約の中で巧妙に仕掛けられている。制約が厳しければ厳しいほど、表現される音楽は充実する。作曲家と演奏家が制約を放棄するのは、表現を諦めたときではないか。

作曲家はまず制約をつくる。例えば建築家がこれからコンペに出すアイディアを示すように。天の啓示を受けるか、自分の脳みそから絞り出すかして。曲を作るには、作曲家の身体と脳に蓄積している音楽的感覚がそこから先に進もうとするだろう。数十年の音楽生活と教育と修練の成果を取り去ることはできない。しかし、そこからの作業では、まず自分を棄てていくことからはじまる。替わりに例えば数列や周波数のデザインが曲を作る。自分の内部にある歴史的感覚と、人の知覚の向こうにある無機質な感覚を、かわるがわる登場させる。捨てては引き戻し、突き放しては迎えに行き。そして厳しい制約が思いがけない結果を導く。

ピアニストは楽譜上の厳しい制約をたどる。大井浩明氏は処理能力がものすごく速いコンピューターみたいなものだ。冷静で客観的できわめて精緻である。そしてリサイタルは終曲まで圧倒的だった。委嘱作品を演奏家に送ってしまって、リサイタル当日は何もするこがない作曲家の心境を思う。終演後、山路氏が観客と同じ笑みをうかべていたかどうか、うかがうことはできなかったが、ブラヴォーもとびだした客席のやんやの拍手喝采が半分は自分にむけられていると気付いていてほしい。そして、観客の多くが思ったことであろうことを私も願う。大井さん、ぜひ、再演してください。クラスターもだけど、装飾音の歌曲のほうも期待しています。

山路敦司:《通俗歌曲と舞曲 第一集より From “Popular Songs and Dances Vol.1”》(2011、委嘱新作初演)

実は僕は現代音楽から興味を失ってしまっていて、かれこれ10年以上コンサートのための器楽曲を書いてなかったんです。その間何をしていたかというと、コンピュータミュージックやメディアアート、そして情報デザインの分野で作品を作ったり考えたりしていました。

 現代音楽は遠くから眺めていただけなんですけど、それでも自分が40歳を越えた時にもう一度現代音楽を書こうと、心の中でひっそりと決めていました。そして、40歳を越えてしまったなという時、丁度よいタイミングで大井君から作曲の委嘱を受けたんです。しかもTwitter経由で。

かつて僕らが20代だった頃、大井君と初めて会った時に見せてくれた公演企画書というのがあって、当時、企画書を書いてプレゼンする演奏家がいるってことがとても新鮮だったわけですが、初対面の僕に向かって大井君は演奏会の企画意図を力説していたのです。どんな企画かっていうと、同世代というか同級生の作曲家によるオーセンティックな関係を探るということだった。

40歳を越えた今、今回はその時と同じというか延長にある企画でした。喫茶店のテーブルの向こうで、すごい勢いで喋る20代の大井君がとっさに思い出された。僕は10年以上の月日を遠く思いながら、この委嘱を引き受けることにしました。ブランクの間に自分の中にあちこち散在しながら溜まってきたものどもを整理するために。そして現代音楽を作曲するリハビリも兼ねて。

最初に大井君の演奏を聴いた時、その超絶技巧と音楽を読み解く力に圧倒されました。彼の巨体で鳴らされるクラスターが素晴らしく美しい響きだった。その後、彼もヨーロッパに留学し、現代音楽に留まらず古楽演奏にも活動の幅を広めたと聞きました。じゃあ今回の曲はクラスターと装飾音を素材として用いようと単純に考えました。大井君の「音響体」としてのダイナミックレンジと繊細さを引き出そうと考えたわけです。

実際の作業工程としては、ピアノを初めて触る子供がよくやる即興演奏のような、あえて稚拙で単純なフィジカルなアイデアをスケッチし、それをコンピュータのアルゴリズムを使ったりして、デザインとして音楽をとらえるというスタンスでディテールを詰めていきました。言うまでもなく、僕が机上というかコンピュータの画面上で実際にどんな作業をしたのかなど、演奏の結果には何も関係ないことですけれど。でもそこには僕がこの10年の間にやってきたこと、建築家や現代美術作家とのコラボレーションで経験したことなどの影響もあるかと思います。

僕の中にある既成的な構成感覚を捨てて突き放す。そしてまた引き戻すことを何度も繰り返しながらこの作品を完成させました。しかし結果的にはライヴでそれをも破壊させてしまうスリリングさと寛容さこそが、同時代における作曲家と演奏家のオーセンティックな関係だと思っているわけです。(山路敦司)